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宮崎監督のお言葉





ここでは宮崎先生のありがた〜いお言葉を私の独断と偏見で選んで掲載していきます。
このページを通じて宮崎監督の言葉が皆様に読んでいただければ幸いです。



<虫眼とアニ眼 P157より抜粋>
どんなに仕組んだところで、アニメーションのワンショットで表現しているものというのは、しょせんその場で、ある目的のために才能と時間の制約の中で描いた絵が動いているだけです。そんなにたくさんの情報は入っていないんですよ。情報ということだったら隅から隅まで見たところで限度があるんです。
でも、子供たちの心の流れによりそって子どもたち自身が気付いてない願いや出口のない苦しさに日を当てることはできるんじゃないかと思っています。
僕は子どもの本質は悲劇性にあると思っています。つまらない大人になるために、あんなに誰もが持っていたすばらしい可能性を失っていかざるをえない存在なんです。
それでも子どもたちがつらさや苦しみと面と向かって生きているなら、自分たちの根も葉もない仕事も存在する理由を見出せると思うんです。

<千尋と不思議な町〜千と千尋の神隠し[徹底攻略ガイド]〜P39より抜粋>
テーマだとかメッセージなんてものは「道路の左側を歩きましょう」とか「右側を歩きましょう」とかいう標語みたいなものですから、映画を作る現場にとっては何の意味もないです。もし自分の作る映画についてテーマはこうですってとうとうとしゃべるやつがいたら、そんな映画はたいした映画じゃないと思います。
よく「自然を大切にというテーマで映画を作ってください」とか「ゴミ問題を扱ってゴミ怪獣が出てくるのはどうでしょう」っていうてがみが来るんですけど・・・最低ですね。そういう脳みその表面で思いついたようなことは、映画作りには何の役にも立たないんです。
例えば今回の映画で、お父さんとお母さんが豚になるっていうと、すぐ「それは風刺だ」とか「飽食のせいだ」とか言われるんですけど、言った人がそれで安心するだけなんです。謎を解いたつもりになって。何しろそういうふうに映画を受け取られると、僕らがつくったものを矮小化して受け取っているなと思って、本当のことを言うと嬉しくないんです

<アニメージュ平成13年8月号P17より抜粋>
君たちが生きている世界には無限の可能性があって、その中に君がいる。
そしてその世界は豊かなんだということ。それだけで充分何じゃないかと思う。
<中略>
世界は常に美しいものを持っているし、雨が降れば海くらいできる。この世界そのものがそうですから。

<黒澤明・宮崎駿・北野武〜日本の3人の演出家〜P130より抜粋>
「娯楽でいいんだよ、映画は」っていうのは嫌いです。でもエンターテイメントというのを否定する気は全然ないです。
エンターテイメントっていうのは何かっていったら間口が広いことですよ。
敷居が低くて、誰でも入れるんですよ、入ろうと思えば。初めからね。僕はチャップリンの映画の一番好きなのは
入っていくうちに何となくいつの間にか階段を上っちゃうんですよ。何かこう妙に清められた
気持ちになったりね。何か厳粛な気持ちになったりね。するでしょう?
あれが僕はエンターテイメントの理想じゃないかと思ううんです。


<黒澤明・宮崎駿・北野武〜日本の3人の演出家〜P117より抜粋>
子供が肯定的なものに出会ったとき−それは作品ですよ−こんな人いないよとか
こんな先生いないよとか、こんな親はいないよっていっても、その時に「いないよね」って
一緒に言うんじゃなくて「不幸にして君は出会ってないだけで、どこかにいるに違いない」って僕は思うんですよ。
やっぱり自分はくだらなくても、くだらなくない人間はいると思ってますから。


<フィルムメーカーズ6・宮崎駿:62ページより抜粋(対談:養老孟司)>
人は、映画をテーマで見てないんですよ。
テーマとかメッセージで見てるというふうに、いつからか思いこむようになったみたいだけれど、
うそですよ、そんなの。


<フィルムメーカーズ6・宮崎駿:70ページより抜粋(対談:養老孟司)>
殺しても惜しくない人間を映画に用意しておけば、
いくらでも殺せるわけです。みんな殺してもちっとも惜しくないよう仕組むんですね。
それをやったらおしまいだと思うから、
なるべくいい部分で人間達を出そうと自分に課したんです。
自分の中にハッキリとうんざりしている部分があるから、
それを野放しにすると最低のものになるなと。


<フィルムメーカーズ6・宮崎駿:70ページより抜粋(対談:養老孟司)>
ミソもクソも一緒に生きようと言う考え方しか、これからの世界に対応しようがないと思うんです。
論理だけで、どうして殺しちゃいけないのだと問われると、
言葉だけではどう組み立てても理屈にすぎない。
殺すと死なさないとは、違うことだというぐらいから始めるしかない程、
僕らの文明は退廃していると思います。


<フィルムメーカーズ6・宮崎駿:76ページより抜粋(対談:養老孟司)>
基本的にアニメーションを作ってて一番最後に残るのは子どもを楽しませたいという気持ちですね。
ただそれだけなんです。楽しませる仕事なら何でも良いんですよ。
それに別に大勢の人を楽しませなくてもいいんです。
知っている5,6人の子供が楽しんでくれれば自分も満足できる。
そこが一番原点なんです。


<出発点:15ページより抜粋(対談:筑紫哲也)>
子供時代というのは、大人のためにあるんじゃなくて、子供時代のためにある
子供の時代にしか味わえないことを味わうためにあるんだと思う。
子供時代の五分の体験というのは大人の1年間の体験より勝るんですよ。


<出発点:15ページより抜粋(対談:筑紫哲也)>
個性とか何とか言いますけど、個性なんてその子供時代の体験から育つもんです。
はじめから個性があるわけじゃないんです。
ですから個性を伸ばすとかなんとかいろいろ言いますけども、そう言うことはやめて、
子供を一回大人の監視下から解放する。そうすれば遊び場がなくても子供は遊びます。


<出発点:25ページより抜粋(対談:筑紫哲也)>
子供は向こうから来る自動車には気がつかないけども、
道の向こうに落っこってる輪ゴムには気がつくんですよ。
それは子供の才能なんですね。
それを輪ゴムを見ないで自動車ばっかり気をつけろというふうな教育をしてるんです。