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今日のぼやき2001年1月









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最近僕の愛飲する「さすらいのピーススーパーライト」があるキャンペーンを始めた。
それはピースのデザインで、万年筆やら時計やらウォークマンやらを抽選でプレゼントしてしまおうという何とも素敵な企画である。
タバコを吸われる方はご存じだろうが、こういった類のプレゼントは必ずタバコの箱の指定されたある部分を切り取って、専用のハガキに張り付けて投函するのが一般的なのである。
そしてひいき目で言うつもりはないが、ピースのデザインは他のタバコのデザインよりも渋い!大人の落ち着きのある「ブルーチタン」なのである。
こういった企画というのは何もピースに限らず、色々な銘柄のタバコでも行われていることだ。無論ピースも年に1,2回のペースでこう言った企画を催すのだ。なので、一度キャンペーンが終わってしまっても、僕なんかは次のキャンペーンを目指してセコセコとマークを切り取っては集めている。 そして待ちに待った今回のキャンペーン。
早速コンビニから専用の応募ハガキを大量に仕入れてくる。何せ数ヶ月分のマークがたまっているのだ、両手で数えきれるほどの応募数ではないのだ。
応募ハガキを持ち帰って、丹念に内容を読み込む。
すると信じられない文章が僕の目に飛び込んできた。

一口につき、一枚のハガキをご使用下さい。

簡単に説明すると、一枚の応募はガキには20枚のハガキが貼れるようになっている。そして僕の欲しいグッズはマーク3枚で一口の応募が出来るのだ。よって、一枚のハガキで何口も応募できるのであれば、僕の場合は最大6口まで応募できるという計算になる。
そして何よりも問題なのがこの応募ハガキには50円切手を貼らなければならないという、どうすることも出来ない事実である!
するとどうなるのかというと、数ヶ月間ため込んだマーク達は・・・・・・・・・・・・・・・・・
悲しいお知らせです・・・
ありません。たった今「数ヶ月間ため込んだマーク達は・・・」の続きを書くためにマークの枚数を数えようと探したのですが、見あたりません。
一応この話は「数十口も応募したら切手代が高くつきすぎるんじゃい!!」という怒りのぼやきだったのですが、この場合は「いや〜忙しすぎて休みが全然ないよ〜」と愚痴をこぼしているが、実際は儲かっていて嬉しい悲鳴のラーメン屋のご主人のような心境でした。しかし、予想もしなかった、それ以上の怒りと悲しみのぼやきになってしまいました。
数日前に母親が私の部屋(家)に来ました。恐らくその時に処分されたモノと思われます。確かに知らない人にとってみれば、ゴミ以外のなんの役にも立たないものだと目に映ったのかも知れません。しかし!一応確認というモノは必要なのではないかと僕は考えるわけです!!
僕のまだかまだかと待ちこがれていた数ヶ月間は全て水の泡となったわけです。
脱力感。今世界中を探してもこの言葉が僕ほど似合う男はそうはいないでしょう。
しかしすんでしまったことをくよくよしても仕方がありません。
また明日からセコセコ集めます。そして明日の朝母親にはキツク言い聞かせます。





1/16
最近まわりの方々に「更新が遅い」とか「ぼやきがつまらん」とか「TOPが重い」とかダメ出しを受ける頻度が高くなってきた。ガンバリマス。

最近狂ったように牛乳を飲んでいる。このままだと体中白くなってしまうんじゃないかと今からちょっと心配しています。元々牛乳を飲み始めたのが
1.酒ばっかり呑むと太ってしまう
2.酒は高い
という理由から牛乳にしたのだが一日1リットルのペースで飲んでいると酒を飲んでいるのと変わらなくなってしまうことにふと気がつきました。
ものすごい頻度で牛乳を買っているコンビニのお兄さんは僕のことをどう思っているのだろう?「牛乳バカ」なんてあだ名までつけられちゃったりしてるのだろうか?
<ぼやきミニ劇場:とあるコンビニの夜更け>
霜柱の立つような寒い冬。時間は深夜12時を周り、コンビニエンスストアの中は閑散とし始めていた。暇つぶしでもするかのように一人の店員がつぶやく
店員A:「今日も来るかな?」
店員B:「来るさ、来るに決まってるよ。ヤツはもはや中毒だからね」
店員A:「そうだよな、きっと今頃牛乳が切れて発狂してる頃さ」
店員B:「おいっ」
店員A&B:「・・・来たぁ」
店員B:「ほらな、来ただろ」
店員A:「あぁ、牛乳バカだ」
店員B:「ヤツの顔見てみろよ、目が血走ってるぜ。でな、よ〜く見てろよ。俺、ヤツの行動パターンは知ってるんだよ。まず買う気もないのに雑誌のコーナーに行って心ここにあらずって顔で適当に雑誌に目を通すぞ」
店員A:「まじかよ・・・・・ホントだ!すげぇ!!」
店員B:「な、で次はまたまた買う気もないのにジュースを物色」
店員A:「・・・おぉ!また当たった!」
店員B:「この時に要チェックが意味もなく冷蔵庫の開閉運動を繰り返すんだよ・・・ほらな。でもう一つよく見て欲しいのが手だ。よぉ〜く見てみな、手が震えてるだろ?あれはもう末期症状の証だよ」
店員A:「うん。震えてる」
店員B:「もうそろそろ我慢できなくなって牛乳のコーナーへ行くぞ。しかも早歩きで」
店員A:「来た来た来た来たぁ・・・手に取った!!」
店員B:「それでもまだレジには持ってこないんだ。ヤツもプロだからね。これでレジに来ちゃったら牛乳を買いに来たのがばれてしまうからこの後に弁当を物色する。そして色々手にとっては見るものの・・・結局買わないでその場に置く・・・と、ほらなぁ」
店員A:「おい来たぞ・・・」
店員A&B:「いらっしゃいませぇ〜」
店員A:「○○○円になります。丁度頂きます、ありがとうございました」

店員A:「すげぇなおまえ、牛乳バカの行動完璧にチェックしてるじゃん」
店員B:「まぁね、俺も長年この仕事に携わってるから色々と見えて来ちゃう訳よ。今度この行動パターンを学会にでも発表しようかな」
店員A:「ハハハハハ、なんの学会だよ。牛乳バカ学会ってかぁ?」
店員B:「ハハハ、冗談冗談マイケルジョーダン」


なんてくだらないダジャレ混じりの会話がなされているのではといらぬ心配までしてしまう今日この頃です。





1/15
最近、懐かしものシリーズがちょっとしたブームのようで町中で色々と目にすることがある。そんな中で十数年前に一大ブームを巻き起こした懐かしのお菓子がある。それはシール目当てで購入し、主役であるはずのチョコが無惨にも捨てられるという現象がちょっとした社会問題にもなってしまったというビックリするようなチョコである。少し前までは2000年ということもあり、そのお菓子の続編が発売されていたが、とうとう十数年前に売られていたものと同じモノが売られるようになった。確か「超元祖」とか書かれていたような気がする。何が「超」なのかは理解に苦しむところもあるが、今回のぼやきの焦点はそこではない。
話は少し前後するが、十数年前にそのビックリするようなチョコが全盛期だったときに子供だった世代は今や立派な社会人になっているはずである。そうなると懐かしさも手伝って、購入する人がいるであろう。(そういう僕もその中の一人)そうなるとどういう現象が起きるか・・・そう「大人買い」である。
この「大人買い」とは子供の純真無垢な心や、トキメキ、「何が当たるかな?」といったような緊張感等を一切無視した、経済力にまかせた大企業の乗っ取りにも似た行為なのである。
社会人となり経済的に余裕が出てきたところで、懐かしのあのチョコの復活。子供の頃少ない小遣いでは満足いくまで買えなくて、お金持ちの友達に苦汁を飲まされた思い出、そんなモノが一気に爆発し「まて」をかけられておあずけを喰らっていた飼い犬のようにむさぼり尽くすのだ。
すると必然的にまたシールだけを集め、チョコは無惨にもゴミ箱行きというケースが十分考えられるのである。こんな事になると一大事だ。十数年前と比べて現代社会は「エコロジー」や「省資源」といったような言葉をよく耳にするようになってきた。そんなご時世にまたあのような事態になると企業イメージの低下も考え得る。
そこで採用された苦肉の策なのだろう、お菓子の袋にはこう書かれていた。

「チョコは楽しく食べましょう」確かこんな感じ

一瞬なんの事やら分からない。僕なんかは十数年前の時代背景を知っているだけに理解できたが、それを知らない今の若い世代やお子さまにはなんの事やらさっぱりである。
僕がその世代だったら「スキップでもして食べろとでも言うのか?」と変な妄想を抱いてしまうであろう。ましてやお子さまにとってチョコを食べるという行為は楽しみ意外何モノでもないはず。食べ過ぎで怒られることはあっても、お母さんに「このチョコ食べ終わるまで遊びに行っちゃ行けません!」みたいな現象は皆無といっていいだろう。それくらいお子さまにとってはチョコは魅惑の食べ物のはず。
そこに来て「楽しく食べましょう」と言われると妙に身を引いてしまう。(僕がひねくれすぎだという説も若干有り)
これを見ている良い子のみんな、もし今ここで話しているビックリしちゃうチョコを買って「?」マークが出たときは2000年1月12日の今日のぼやきを思い出してね。





1/9
本当にひっさしぶりのぼやき。約一ヶ月に渡る間私は何をしていたのでしょう。少し自己嫌悪。

さて、僕は無知な男です。一応小学校〜大学まで一通りの事は学んできましたが、そんなモノは人が一生の間で学ぶうちのほんの数パーセントに過ぎません。
日々生活していて「?」な事がたくさんあります。今日はそんな僕の疑問の一つをご紹介したいと思います。

どんな世界にもプロ(実際に現場にいる人間)にしか分からない、いわゆる業界の裏側というモノが存在します。アニメ界の裏側、プロレス界の裏側、政界の裏側、小学校の裏側、医学界の裏側、一般の人は疑問すら抱かない暗黙のルールというべきか謎の世界が存在します。その謎の世界の秘密を知ったときは何かものすごく得した気分にもなります。
そこで今回(というより以前から)僕が気になったのは
「勝訴」の紙を持った人は何処まで走っていくのか?ということです。
ご存じ無い方もいらっしゃると思いますので、簡単に説明します。
裁判などが終了して、その判決を報道陣が待ち受けています。すると中から一人の男の人が判決の書かれた紙を持って出てきて、それを天高々と掲げて、猛ダッシュでどこかへ駆け抜けていくのです。
彼らは一体何処まで走っていくのでしょうか?
その走りッぷりは見事なもので、カール・ルイスにでも挑もうとしているのかと錯覚を受けてしまうほどです。それも並み居る報道陣を天才ストライカー「マラドーナ」をも凌駕してしまうほどにすり抜けて、門を出て走り去るのです。
僕の予想では恐らくあれは報道陣へ向けての一種の「行事」みたいなものだと見受けられます。誰もいないところで勢い良く「勝訴!」と掲げて猛ダッシュを見せたところで虚しさ意外そこには何も残りません。
そう考えると門を出たところで止まってしまうのでしょうか?否!僕は信じています。力つきるまで走り続けているということを。先日のオリンピックで金メダルを獲ったマラソンの高橋尚子選手のように「もういい!お前は頑張った!今日はこれくらいにしておけ!でなければ・・・死ぬぞ!!」くらいのことを言わなければ彼らの疾走を止めることは出来ないのだ。
あっ!ということは彼らはあれが専門の仕事で、日々あの猛ダッシュに向けて鍛錬に励んでいるに違いない!スプリンターの俊敏性、マラソン選手の持久性、ボクサーの動体視力とフットワーク。これらを兼ね備えたスーパーマンなんだ!!そうに違いない。何百倍という倍率の中から選ばれたエリートなんだ。そう考えると彼らがものすごく偉大に思えてきた。ケイン・コスギもサジを投げてしまうほどの運動神経を持っているのであろう。そして彼らは走るのだ、何処にあるとも知らないゴールを目指して・・・

どなたか彼らが何処まで走っているのかご存じの方がいらっしゃいましたらご一報下さい。