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今日のぼやき2000年11月









11/30
人は進化の上で様々な表情を手に入れてきた。
嬉しいとき、悲しいとき、怒っているとき、楽しいとき、人はその時に合う豊かな表情で相手に対して言葉以上の印象を与えることがある。
しかし、そんな表情の中でも時として意図しない印象を与えてしまうのが「笑顔」(造り笑顔は除く)である。
笑顔というのは人の持つ表情の中で一番光り輝く好印象を与えるものかも知れない。
張りつめた空気の中でも笑顔を一つ浮かべるだけでその場の雰囲気が和むこともある。初対面の人間に好印象を与えるのに一番手っ取り早いのも笑顔を見せることかも知れない。また、きつい言葉を発していても、表情が強ばっているのと、柔らかい笑顔であるのとで相手受ける印象は全く違うモノになる。
そんな人にプラスイメージのある笑顔でも時と場合によっては全く逆の印象を与えてしまうことがある。
それは一人笑いである。
町中などでよく見かけるが、歩行中にニヤニヤと笑っている人をみると好印象を抱くと言うよりはむしろ不気味である。
きっと当の本人は何かいいことがあったのか、思いだし笑いをしているのか、とにかくほほえましい事があったのだろうが、見ている第三者としては不可解でそれでいて恐い。これがもし2人で歩いているうちの一人がニヤニヤしていても何ら不自然ではない。これが三人四人と数が増えても同様のことが言える。
しかし、これが一人の場合だけは何故か不気味なのだ。
不思議である。
別に一人で笑ってはいけないのではないのだが、何か近寄りがたいオーラを発するのだ。
そこでこの「一人笑い」を有効活用できないかと思い悩んだあげく、打ってつけの利用法が発見された。
それは街頭などでビラやティッシュが配られていて、それを少々うっとうしいと感じる方がおられることだろう。その時にこの「一人笑い」を発動させるのだ!!
それも半端な「微笑」程度ではいけない。「爆笑」に近いくらいの笑顔を見せるのである。(但し発声は厳禁)または、「苦笑」にも似た笑顔を見せるのもいいかも知れない。
そうすれば配っている人は不気味に感じてビラやティッシュを渡すことが出来なくなるであろう。下を向いたりポケットに手を突っ込んだりしても差し出されてしまうのであれば、いっそのこと目と目をしっかりと合わせて「ニヤニヤ」と笑ってやるのだ。
もし僕がビラ配りのお兄さんだったら確実にそのような危険人物は避けるであろう。むしろ目をそらしてしまう。
こんな有効活用のできる「笑顔」はやはり万能で一番素晴らしい表情なんです。

注:ただし、これを強面のお兄さん等に使用するとおいたを受ける場合がございます。ご注意下さい。





11/22
<プチぼやき>
ケインコスギを俳優にしておくのはもったいないと思うのは僕だけでしょうか?





11/14
<ぼやきプチ劇場>
僕はお買い物をするためにコンビニエンスストアへと向かう。
購入するものを手に取りレジへと向かう。
店員さんは軽快に「ピッピッ」とバーコードを打ち、合計金額を叩き出す。
そして店員さん「1004円になります。」
僕は財布の中を覗き1004円ピッタリ出せるので、千円札一枚と1円玉4枚を差し出す。
すると店員さん「丁度頂きます。」
僕が商品を持っている帰ろうとすると店員さんが
「レシートをお返しします。お確かめ下さい
・・・え〜っっと、何を?





11/13
今日自分で書いた「きょうのぼやき」を読み返しております。
誤字脱字が多く、何とも乱文なのですが、読んでいるとこれがなかなか面白いんです。
自分で書いておいて言うのもなんのですが「ププッ」と吹き出したりしております。
「このナルシストめ!!」と軽蔑しないで下さいませ。熱風の中でもなかなか力を入れているコンテンツで、熱風そのものが僕の息子だとしたらこの「ぼやき」は僕にとって孫のようなものなのです。
その孫も少しずつ成長して嬉しい限りです。
これもひとえに皆様のおかげでございます。
これからも末永くよろしくお願いいたします。





11/12
今日は、この「ぼやき」でも何度かお披露目している「看板話」です。
世の中にはありとあらゆる看板が存在する。その多くが広告による看板である。
広告である以上自分の店や会社等をより簡潔に表現し、かつ、客のハートをがっちりキャッチするようなうたい文句が必要となる。
よくあるうたい文句では「激安!」「味で勝負!」などがある。このうたい文句というヤツも簡潔明瞭でなければならない。何故かというと歩行者であればゆっくり見ることが出来るが車やバイク等の場合は一瞬しか目を向けることが出来ないからだ。
とまぁ前置きはこれくらいにして、今回何故僕がこのぼやきにて看板を取り上げたのか。それは僕がどうしても理解できない(許せない?)うたい文句が最近街に氾濫してきたからだ。
それは「うまくてゴメン!」である。
僕はこういう表現が許せないのである。うまくてゴメンだったらうまくない店はどうなってしまうのでしょう?土下座ではすまされなくなってしまう。もちろんこのうたい文句はそのままとらえるものではないことも分かっている。
しかし「うまい=良いもの」であるのに何故貴様は謝っているのだ!!と叫びたくなる。
そういう看板を掲げているお店には一気に入りたくなくなってしまうのです。

旅先で奇妙なものを発見しました。
黒部ダムという日本最大のダムへ行ってきたのですが、そこには直接車で行くことは出来ず、途中まで車で行ってそこからは「トロリーバス」という電気で走るバスでダムまでいく。何故そんな面倒くさいシステムなのかというと、車で行けるところから黒部ダムまでは長いトンネルが続き、そのトンネルの中が排気ガスで充満してしまうのを防ぐのとと、周辺環境を守るためであるらしい。
そこで僕もそのトロリーバスに乗る手続きをするためにチケット売場へと足を運んだ。そこで僕は仰天してしまうものを発見する。
そこにはバスに乗るに当たっての注意事項が書かれていた。
そこの持ち込んではいけないもの中にそれは書かれていた。
一つは動物。これは普通である。周りの人に迷惑がかかってしまうかもしれないし、バスの中で脱糞等されては関係者も困ってしまう。
これは十分に理解できる。
しかしその次に書かれていたものに僕は度肝を抜かれた。それは
死体である。
これには世界ビックリショーを見てもさほどビックリしなかった僕もビックリである。
過去に死体を持ち込んで遺棄しようとした不届きモノがいたのでしょうか?何にしても末恐ろしい話であります。





11/5
最近ぼやきネタが結構豊富。
頑張って報告いたします。

僕は基本的に携帯電話の留守番電話をあまり聴かない。最近は電波が届かない場所が少なくなったため、着信履歴を見て直接電話してしまうためである。
しかし、先日電波の届かない場所に長時間いたため久しぶりにたまっていた留守録を聴いた。
そこにはすでに用事の済んでいる伝言がたくさん録音されていた。
次々と削除して新しいメッセージを聴く。
そして遂に問題のメッセージ。その用事もすでに確認済みだったが一応最後まで聴いてみる。

「もしもし○○ですが、え〜ちょっと聴きたいことがあるのでこれを聴いたらこの番号まで電話ください。
「おっとメモの用意だ!!」
そのあと衝撃の聞き覚えのあるお姉さんの声が電話口から僕の耳に入ってきた。
・・・・・・このメッセージをもう一度聞く場合は1を、削除する場合いは数字の3を押して下さい・・・・
イヤイヤ・・・番号は?僕は君の電話番号はシランぞ。まぁ別に用事は済んでるからいいんだけどさ。でもさぁ、電波が届かない場合の留守番電話には着信履歴は残らないから「この番号に」と言われてもさっぱりワカランのよね。
僕は見事な投げっぱなしに完敗!!ってな感じで放心状態。例えて言うのであれば、ファミレスに入ってウェイトレスのお姉さんに「スミマセン!注文お願いします。」といってお姉さんが「はい。少々お待ち下さい」と言われたまま10分くらい放置されていつの間にかどうでもいい世間話に花が咲いてしまった状態・・・いや!!違う!!これはそんな生半可な状態ではない!
そうだ!!久しぶりの友達に電話して話も落ち着きを迎えて「じゃぁ今度遊ぼうよ、電話するよ」と言われたまま半年ほど音信不通で、しびれを切らしてこっちから電話をしたら「この電話番号は現在使われていません」と言われたくらいの投げっぱなしに等しい!
いや〜世の中には強者がいるもんです。





11/3
<プチぼやき>
街角で見かけた看板。
「日替わりモーニングランチ」
一体どっち?

先日マクドナルドへ行った。
ハンバーガーとチーズバーガーが平日半額と言うこともあり最近はよくマクドナルドへ通う。
その日もいつものようにマクドナルドへ入り、注文を終え、品が出てくるのを待っていた。
暇な時間というのは何故かあたりを見回してしまうもので、その時も例外なくあたりを見回していた。
そこで衝撃の逸品を目撃してしまった。
それはドナルドのサインである。
正直ショックを受けた。もちろんそのサインはお子さまのために夢を与えるものであることは十分承知だ。僕もいい加減分別のある大人と言える年齢なので、ドナルドが実在しないことは分かっている。
では、なぜ僕がそのサインに対してビビってしまったのかというと、そのドナルドのサインの文字が
丸文字だったと言うことだ。
このご時世女子中高生も使用しないであろう見事な丸文字なのだ。
別にドナルドだから英語で文字を書けとはいわない。
けど丸文字はないだろう。何十年も書に携わった書道の先生のような達筆でも困りものだが、それに勝るとも劣らないほどに丸文字にはショックを受けた。
僕の描いてきたドナルドにイメージがその時ガラガラと崩れ落ちたのである。
ちょっと不思議な顔をして、だけど子供達がお腹を空かせているときにはアンパンマンのごとく現れて目の前にマクドナルドを出現させて、美味しい美味しいハンバーガーをご馳走してくれる。そんなスーパーマン的な印象を持っていたのに、僕のその憧れに近いドナルド像は儚くも散った。
でもきっと子供達には丸文字だろうと達筆だろうとどうでもいいことなんだろうなと思う今日この頃・・・

今日Dr.中松の偉大さを初めて知った。
今まではただの跳ねるおじさんだと思っていたが、「DOCTOR NAKAMATSU HOMEPAGE」にいって思い知らされた。
Dr.中松の本当の偉大さを知らない人は是非HPへ行ってみてください。